2001年 |
3月 |
埼玉大学内の音楽サークルにて、ウラニーノ結成。当時のメンバーは4人。 |
2002年 |
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この頃のインディーズ作品に、アルバム『イエス アイ ドゥー』など(「ぼくのロケット」収録、発売時期等未詳・現在入手不可?)。 |
2003年 |
1月 |
現在の3人体制へ。ギター担当だった山岸がヴォーカル兼任に。 |
8月 |
6日、500枚限定『ウラニーノサンプルCD』リリース。「ぼくのロケット」、「人様に捧げる歌」収録。 |
9月 |
新星堂オーディション『CHANCE!2003』北関東・甲信越地区グランプリ。全国大会出場へ。 |
11月 |
新星堂オーディション『CHANCE!2003』全国優勝。1200組の頂点に。このコンテストには、当時まだ無名だったAquaTimezなども参加している。 |
2004年 |
3月 |
17日、ファーストミニアルバム『幸せ橋の向こうがわ』リリース。 |
8月 |
熊谷にてセカンドアルバムのレコーディング開始。 |
9月 |
全国ツアーがスタート。 |
2005年 |
1月 |
再びレコ発で全国ツアー。各ターム40本以上のライブをこなし、秋、冬、春とツアーを決行。 |
4月 |
6日、セカンドミニアルバム『やぶ医者とわたし』リリース。 |
5月 |
『やぶ医者とわたし』ボツ曲プレゼント企画を開催。全5曲のうち1曲が入ったCD−Rがプレゼントされる。曲目は、「雨男の歌」「穴」「君探し探検隊」「授業参観日」「夕暮れバスストップ」。 |
7月 |
ウラニーノのラジオ「ヘボロック・アワー」がスタート。一部地域ではこのラジオのために人気番組が打ち切られ、一時ウラニーノのウェブサイトが炎上……したらしい。 |
9月 |
21日、初?のワンマンライブを六本木morph-tokyoにて決行。ピストン大橋の断髪式。 |
2006年 |
9月 |
13日、サードミニアルバム『情熱の温度』リリース。今作をもってプロデューサーの須永秀人(がぁなすぅ)との活動が終了。 |
12月 |
ウラニーノのラジオ「ヘボロック・アワー」終了。 |
2007年 |
3月 |
ウラニーノ、渋谷公会堂(C.C.レモンホール)でのワンマンライブを発表。ボランティアスタッフ「もぐら組」募集開始。この「もぐら組」には、特別なライブに招待されたり、打ち上げに参加出来たりと、様々な特典があった。 |
9月 |
発売予定のアルバムより、合計3曲が地上派テレビのタイアップに決まる(「6月のタイムマシーン」
、「大学生の悲鳴」、「斉藤くんの場合」)。 |
10月 |
17日、四枚目のミニアルバム『友達の彼女』リリース。今作より、佐久間正英プロデュース。 |
12月 |
22日、ウラニーノワンマンライブ「手売りでC.C.レモン」決行。一階席完売、1200人以上を動員する。 |
2008年 |
4月 |
次作アルバムのレコーディング開始。 |
6月 |
ウラニーノの新曲「海」が、アーティストである坂本梨.奈の配信限定シングルとして提供される。 |
10月 |
1日、ピストン大橋がメンバー兼マネージャーに就任。 |
12月 |
名古屋と高知で初の地方ワンマンライブを開催。 |
2009年 |
3月 |
28日、下北沢Club Queでの8周年記念ワンマンライブにて、メジャーデビューを発表。所属レコード名(エピックレコード)も公表。ウェブサイト等での正式な発表は5月17日。 |
7月 |
メジャーデビューミニアルバム『ランドリーとワールド』リリース。 |
12月 |
2日、初のシングル『終着駅』リリース。これに際し、日本テレビ系列の全国ネット音楽番組に相次いで出演。演奏を披露する。 |
2010年 |
3月 |
6日、岡山での「ウラニーノワンマンライブ 〜100人入らんかったら当日キャンセル〜」を皮切りに、新潟、(東京)、福岡、松山、高知と、それぞれの地で別々に無謀な企画を立てたワンマンライブを実施(〜7月)。ちなみに岡山では142人の動員を達成。近年稀に見るほどの会場の一体感に包まれたという。 |
5月 |
26日、セカンドシングル『ダンボールに囲まれて』リリース予定。 |
6月 |
9日、初のフルアルバム『World end Happy end』リリース予定。 |
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